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我が憧憬のまんが環境を考える

ここ5~6年。おおざっぱに言えば私が関東に連れてこられた前後から、まんがの原稿制作のほとんどをパソコンによるデジタルにしてみていた。その時の考えとしては、コピー本ではそれほど目立たなかった線のアラが、オフセットとかで出てきたらただでさえヨレヨレな線がさらにボソボソになっており、とても見られたものじゃない(そもそも印刷された自分の作品を見返すこともあまりしないのだが)ので、デジタルでペン入れをすればある程度は解消されるのではないかということと、トーンやコピックの節約にもなり、原画をスキャンしてゴミ取って・・・といったワンクッションをすっとばせる利点を買い、新世代な原稿制作環境を用意してみたカッコウである。

 
 が、ただでさえうまいとは言えないまんがの質がさらに落ちた。線自体たしかに多少キレイになったが絵のバランスはさらに落ち、描き込みは減り、トーンの代わりとなるグレーの塗りつぶしは安っぽさを増大させた。
 「数をこなせばいくぶんか向上するだろう」としばらくやってみたが、イッコウに向上する気配なく、デジタル作画技術を学ぶ気も起きず、質と一緒に意欲も落ち・・・今まで以上に自分の作品を見なくなり・・・どんどんと描くことに魅力を感じなくなって、最終的に編集や事務方に精を出すようになっていった。

 そこで去年の末ごろから原稿をセリフ以外全てアナログにもどしたところ、向上・・・はたいしてしているわけではないが、気持ち「戻った」気がした。そしてなにより、劇的に描くのが楽しくなるのを実感した次第。


 ムイテいなかった・・・とカンタンに言えばすぐ終わってしまう話ではあるのだが、もう一歩踏み込んで自分のなにがそこまで合わなかったのかを考えてみた。

 最初に断っておくが、私はアナログ信奉者ではない。それどころか、これから漫画を始める人はデジタル原稿作成技術を積むべし。と思っているくらいである。「3万あるので初心者の方が漫画をはじめる環境をつくってください」という問題を出されたら、「コミスタとペンタブを渡す」と答えると思う。

 
 おそらく、自分のまんがを描く”動機”の一番重要なところが「憧れ」であったからなのだろうなという結論になった。

 藤子不二雄先生に憧れてまんがを描き始め、「少太陽」に憧れて肉筆回覧雑誌を作成し、前の記事に書いたとおり「トキワ荘の青春」をアキレるほど観て、漫画黎明期の文献を読み漁り「憧れ」を募らせていた身としてはパソコンとにらめっこしてタブレットをこすってる行動は、自分の中ではまんがを描く行為ではなく「画像処理」の意識にしかならなかったのだなとそう強く感じたのである。
 (※誤解を招きたくないので何度でも言うが、個人的な「動機」の話であり決してデジタル作画を否定しているわけではない)


 長々と語ったが私にとって紙にペンでガリガリガリガリ・・・とやるまんがに「憧れ」と「動機」があり、「描きたいから」という理由にその二つを足すことが不可欠で、そこから生まれるまんがに達成感を覚えていたのだなあと改めて実感させられた次第。


 しかし、オンライン入稿や写植、修正等デジタルでも問題なくできる、というより頼れば武器になるものは沢山あるので、スキャンの技術も含めて、そういったところを勉強する必要はあると感じた。アナログ原稿を大事にするのであれば、なおさら勉強せねばならないと思った。
 今後は「デジタルとの付き合い方」をシッカリ考えることを忘れないようにしたい。



 ほとんど誰も見てないブログなので、今のうちに自分へのメッセージとしてここに記す。
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