競馬レコード紹介の一発目はあらためて紹介するのも・・・というくらいの一本だが
コレクションの中で外せない一枚なのでご紹介したいと思います。
語り部口調なのはやりやすいからです、競馬レコード紹介の時はいつもこんなかんじになりますことをご了承ください。

さらばハイセイコー
1975年1月1日
歌・増沢末夫
作詞・小坂巌
補作詞・山田孝雄
作曲・猪俣公章
筆者の競馬係レコードとの出会いの一枚といえる曲で、現物をTOWA(ボーニモリヤのお向いさんのデパート)の中古レコード市で発見し大興奮した怪しい中学生だったことを今でも鮮明に覚えている。
おそらく競馬系音楽としては「走れコウタロー」と双璧をなす知名度を誇る一曲であろう。オグリキャップと並ぶ日本で最も人気のあった競走馬、ハイセイコーの引退記念シングルである。
競馬ファンには周知の名馬であるハイセイコーという馬の当時の人気っぷりをあらためて説明すると、ハイセイコーを観にG2レースにもかかわらず17万人が押し寄せ、ファンレターの宛先に「東京都ハイセイコー様」とだけ書けば厩舎に届くと言われ、少年マガジンの表紙を飾り、引退記念に出された本作が45万枚を売り上げオリコン4位に食い込んだ。以上の現象がまだまだ競馬が市民権を得るに十分ではなかった頃に起きたというから、いかにハイセイコーが競馬人気の向上に貢献したかが分かる話といえよう。
で、LP自体はというと、A面に曲が入り、B面には関係者インタビューとレース実況という競馬レコードによくある形。曲自体はいかにも歌謡曲といったつくりで、歌詞も覚えやすく歌いやすい。歌は中央入りしてからの主戦騎手である増沢末夫本人が歌ってるとあって、まさに「売れるレコード」であったことがわかる。
ハイセイコーはその後種牡馬としてもカツラノハイセイコやハクタイセイ、アウトランセイコーなどをを排出し、顕彰馬(競馬殿堂)に選出され、29歳でこの世を去った。中山競馬場には銅像が建ち、出身である大井競馬場では所属最後の勝利を飾った青雲賞がハイセイコー記念と名を替え現在もその功績を称え、このレースでは毎年増沢末夫調教師が呼ばれ「さらばハイセイコー」を熱唱している。
尚、同名のタイトルで寺山修司が詩を発表しているが当LPとは無関係である。
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